「塩浜のあゆみ」 年表 |
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年代 | 西暦 | 内容 |
中世 | [平安・鎌倉・室町・戦国時代】 | |
平安中期 | 大里・塩浜・一色・馳出は「川後郷」に属する。(古屋草紙) | |
応和2年 | 962 | 「神田塩浜御薗」として、外宮に塩五斗を上分する。(神鳳抄) |
永禄2年 | 1559 | 「塩浜合戦」関氏と工藤氏がこの地で戦う。(勢陽五鈴遺響) |
天正3年 | 1575 | 織田勢のため社寺焼かれ、信長の配下に入る。 |
10年 | 1582 | 徳川家康本能寺の変後、三河への帰路この地に立ち寄る。 |
近世 |
[江戸時代] | |
慶長8年 | 1603 | 塩浜が徳川領となり、初代の代官に「水谷九左衛門光勝」がなる。 |
慶長年間 | 大里に「竹管水道」が引かれ、水神様を祀る。 | |
元禄年間 | 「馳出地蔵」がこの地に移る。 |
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宝永4年 | 1707 | 大地震があり、塩取浜・新田がつぶれる。 |
正徳5年 | 1715 | この地、長島藩増山氏の所領となる。 |
享保7年 | 1722 | 大暴風により大里の堤防決壊、「大柳地蔵」が建てられた。 |
寛延2年 | 1749 | 「辰巳新田」(高・浜旭)開発、木曾崎村の白木金太夫による。 |
天明8年 | 1788 | 「御薗地蔵」が建てられた。 |
享和2年 | 1802 | 天領に復し、「信楽代官多羅尾氏」の支配を受ける。 |
享和年間 | 「磯津の漁業」塩浜の村木五兵衛によって始まる。(勢陽雑記) | |
文化11年 | 1814 | 「大橋新田」(北旭)開発、木曽崎村の大橋六兵衛による。 |
安政元年 | 1854 | 大地震があり、寺の倒壊多し。 |
近代 | [明治・大正時代] | |
明治元年 | 1868 | 大津県に属する。 |
4年 | 1871 | 安濃津県となり、後に三重県となる。(明治9年) |
8年 | 1875 | 辰巳・大橋新田合併して旭村になる。 |
塩浜学校が開設され、塩浜・馳出・旭に分校をおく。 | ||
22年 | 1889 | 塩浜・馳出・旭三村合併して塩浜村となる。 |
23年 | 1890 | 塩浜尋常小学校になる。(御薗町) |
大正8年 | 1919 | 伊勢鉄道、高田本山と海山道間に軽便鉄道を開通させる。。 |
15年 | 1926 | 塩浜駅に電車が通る。(伊勢電気鉄道) |
現代 | [昭和・平成時代] | |
昭和2年 | 1927 | 「旭村の土地裁判」が起こる。(和解 昭和14年) |
5年 | 1930 | 四日市市と合併する。 |
7年 | 1932 | 塩浜尋常高等小学校が新築移転される。(旧七津屋) |
東洋毛糸工場が設立される。(昭和17年 東洋紡績) | ||
15年 | 1940 | 海軍燃料廠住宅(現浜旭住宅)が建設される。 |
塩浜小学校が移転される。(現 昭石グランド) | ||
七津屋・浜旭・高旭の移転が完了する。 | ||
「松泉町」東邦重工業の社宅として建設される。 | ||
海軍燃料廠・石原産業が操業を始める。 | ||
17年 | 1942 | 「小浜町」が字「浜田」の地に建設される。 |
19年 | 1944 | 国鉄塩浜駅が新設され、四日市と塩浜間に引込線が開通する。 |
東南海大地震があり、石原産業の大煙突が折れる。(12月) | ||
20年 | 1945 | 数次の空襲で海燃は壊滅、被害が地区一帯に及ぶ。(6月) |
塩浜小学校が海軍燃料廠工員養成所跡に移転される。(現在) | ||
「日本肥料」が海軍燃料廠跡を転用して設立される。 | ||
22年 | 1947 | 新制中学校制度ができ、塩浜中学校が発足する。 |
県立塩浜病院が設立される。 | ||
「東邦化学」が東邦町に設立される。(東邦重工業の後身) | ||
25年 | 1950 | 「日本化成」が設立される。(三菱化学 現三菱ケミカル) |
28年 | 1953 | 十三号台風で大きな被害がでる。(9月25日) |
「雨池町」ができる。(全戸移転 昭和42年) | ||
30年 | 1955 | 三重火力発電所が建設される。(操業停止 平成元年6月30日) |
31年 | 1956 | 昭和石油工場建設が始まる。(石油コンビナート化) |
三浜小学校が新設される。 | ||
34年 | 1959 | 伊勢湾台風により未曽有の被害がでる。(9月26日) |
36年 | 1961 | 公害が地区問題になり、全戸にアンケート調査を実施する。 |
37年 | 1962 | 「磯津橋」が竣工する。(12月27日 市内最長永久橋) |
41年 | 1966 | 「平和町」の移転が始まる。(完了 昭和43年) |
43年 | 1968 | 塩浜中学校が現在地に移転する。 |
47年 | 1972 | 四日市公害裁判で原告側勝訴の判決がでる。 |
55年 | 1980 | 塩浜出張所が「塩浜地区市民センター」になる。 |
57年 | 1982 | 「中里住宅団地」が市開発公社により分譲を始める。 |
58年 | 1983 | 塩浜地区市民センターが新築される。(10月20日) |
平成5年 | 1993 | 「小倉橋」改設される。(7月) |
11年 | 1999 | 「ヘルスプラザ」が塩浜病院跡地に新設される。(4月15日) |
26年 | 2014 | 「三浜小学校」が閉校される。 |
塩浜小・三浜小が統合され、新しい「塩浜小学校」が開校される。 | ||
28年 | 2016 | 「三浜文化会館」(カルチュール三浜)が開館される。 |
[令和時代] | ||
令和元年 | 2019 | 鈴鹿川河口国土強靭化対策工事が施工される。 |
「塩浜地区まちづくり構想」が策定され、市長に提出される(12月) | ||
4年 | 2022 | 四日市公害裁判判決から五十年を迎える。(7月24日) |
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